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福岡高等裁判所 昭和29年(ラ)77号 決定

抗告人 債権者 大隈貫樹

相手方 債務者 長谷川正夫

主文

原決定を取消す。

本件を福岡地方裁判所八女支部に差戻す。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由は別記の通りである。

二 原審は債権者たる抗告人が後記「仮差押うべき債権の表示」記載の債務者長谷川正夫が第三債務者山下峰作に対して有する(1) の売買予約に基く所有権移転請求権及び(2) の賃借権の仮差押を求めたところ、別記抗告理由に摘示しているような理由の下に、抗告人の仮差押申請を却下したことが明らかである。

(一)  売買予約に基く不動産所有権移転請求権の仮差押について。

宅地売買の予約に基く予約権利者たる買主(債務者)の予約義務者たる売主(第三債務者)に対する権利はこれを譲渡し得べく、同権利の内容をなす予約上の不動産所有権移転請求権が譲渡性を欠くと解せねばならないなにらの根拠もないのであつて、同請求権は、それが物権的のものであると債権的のものであるとを問わず(不動産登記法第二条参照)、また、占有の移転を伴うと否とにかかわりなく(民事訴訟法第六一六条参照)、同法第六一四条の請求に含まれるのであるから、同法第七四八条に従い第六一四条の規定に準じてこれが仮差押をなし得るものと解すべきである。しかるに、原審がこれと異なり、単に売買予約に基く所有権移転請求権は債権と目すべきものではないというだけの理由で抗告人の本件仮差押申請を排斥したのは不当であつて、原決定は取消を免れない。

(二)  宅地の賃借権の仮差押について。

抗告人は、本件賃借権は登記を経たもので、また、その譲渡を制限する定もないから、これに対し当然仮差押を許容すべきであると主張するのであるが、右の見解は民法第六一二条、不動産登記法第一二七条の規定を無視した論で採用に値しないのであるけれども、しかし、また、賃借権、特にその地上に建物のある宅地の賃借権が賃貸人の事前の承諾の有無にかかわりなく転輾と譲渡せられ、そのうち相当数が賃貸人の事後における明示、黙示の承諾によつて合法化されているという周知の社会的事実の現存することは、民法第六一二条の解釈ないしその適用、従つてまた賃借権を換価して金銭債権の満足をはかると同時に、強制執行上その譲受人をして賃貸人に対する関係においても有効に賃借権を取得させることを目的とする一連の執行手続としての仮差押、強制執行において重要視されねばならないのである。もとより強制執行によらない、通常の契約による賃借権の譲受にあつては、譲渡人は事後における賃貸人の承諾によつて、賃貸人に対し有効に賃借権を取得するのであるが――賃貸人の承諾のない賃借権の譲渡といえども譲渡当事者においては有効であるが、それは他人の物の売買でも売買当事者間には債権契約として有効に成立するのとひとしい。しかし、賃借権の強制執行を問題とする場合、賃貸人の承諾のないいわば債権契約的関係としての譲渡を論ずるのは無用であつて、例えば換価としての譲渡命令によつて、その譲受人が賃貸人に対し直接賃借人たるの地位を取得するかどうかということが問題とされねばならないのである。すなわち、名は賃借権に対する強制執行処分であるけれども、その実質は賃借人としての権利義務を伴う賃借人の地位の移転を目的とする執行処分であるから、義務の移転を伴う関係面で賃貸人の承諾が有効要件として介入するのである――強制執行手続における賃借権の換価による譲渡にあつては、執行手続の過程において譲受人をして対賃貸人関係において賃借人たるの地位を当然取得させねばならないのであつて、賃貸人の承諾は、強制執行終了後に譲受人が任意にこれを得ればそれでよいというような見解は許されない。もしこれを反対に解せんか、執行処分による賃借権の譲受人の地位は、もともと承諾義務のない賃貸人の承諾という、その生起を期待し難い将来の出来事に依存することとなり、結局その終末を捕促端倪し得ずして、執行処分たる換価の本質に反することは言をまたないのである。ただし、以上のことは、賃貸人の承諾がないのになされた換価処分の譲渡人が、その後執行手続外において右承諾を得たときは有効に賃借権を取得し、従つて賃借人たる地位を取得するということとは、明確に区別して考察さるべきであつこの点についてはあえて詳説を用いないであろう。

要するに、賃借権に対する執行においては、賃貸人の承諾は少くとも換価処分の時までには存しなければならないのである。(例えば承諾がないのに換価処分がなされ、これに対し賃借人たる債務者が不服を申立てている間に、賃貸人の承諾があれば、換価処分は維持さるべきであるから、右例示のような細かいことを考えると以上の説示は正確ではないが暫く簡略に従う。)そして、賃借権の仮差押は、将来なさるべき賃借権の換価、譲渡を保持して、仮差押債権者の債権を保全するにあるから、仮差押の裁判をなす際、換価による賃借権の譲渡について確実に賃貸人の承諾が得られることを認め得る特別の事情がないかぎり、仮差押を許すべきではない。けだし、仮差押の裁判当時、賃貸人が賃借権の移転を許していない以上は、その後の換価処分の際においても、通常これを許さないであろうと推測するのが事物自然の解釈というべきであるから、もともと承諾義務のない賃貸人が、仮差押以後換価処分までの間に、賃借権の移転を許すであろうと前提して仮差押を許すべきでないことは、換価処分後の承諾を予想して、換価処分をなしてはならないのと(この点前記説示参照)その軌を一にする。

以上の説明を要約すれば、賃借権に対する仮差押は(イ)賃貸人が予め賃借権の移転を許している場合(不動産登記法第一二七条参照)は当然これを許すべきであり、(ロ)賃貸人がその移転を許していない場合でも、仮差押の裁判をなす際、将来賃借権の換価による譲渡について確実に賃貸人の承諾を得ることが認められる特殊の事情が存する場合、例えば賃貸人が現在の賃借人に対し危虞、不満の念などを抱いていて、強くその更迭を希望しているとか、あるいは、賃貸人がある特定の人(一人または数人の人)を信頼し、同人に対してならば賃借権の移転を許すことが明らかであつて、同人もまたその賃借人たることを希望しているといつたような事情がある場合などには、予め賃借権に対する仮差押を許すべきである。

従つて原審は叙上の諸点に意を用い本件仮差押申請の許否を判断決定すべきであるのに、前示の社会的現行事実にすら、目をふさいでのことか、「賃借権の如き債務設定の趣旨により債務者が特に債権者のみに給付する利益を有する債権はその性質上差押え得ないものとすべきであるから、本件申請はその余の点につき考量するまでもなく理由なきものとして却下すべきである。」として却下の決定をなしたのは不当である。

(三)  抗告人は債務者に対し八女簡易裁判所昭和二九年(イ)第五号所有権確認和解申立事件の和解調書に基く金四十五万円の債権を有するとしてこれを被保全権利とする本件仮差押を申請したことが窺われるところ、肝要な右和解調書正本の提出がなく、ために右債権の存在について疎明がないのであるが、これは弁護士でない債権者本人が自からなした仮差押申請であるから過つて提出を怠つたものと解せられないでもないし、(かりに右債権の存在について疎明がなくても債権者が裁判所の定める保証を立つるにおいては仮差押を命じ得るのであるけれども)、特に前記(二)説示の点について疎明資料の取調を必要と認めるのでこれと共に本件仮差押の請求についても一応疎明させるため、原決定を取消し本件を原裁判所に差戻すこととする。

よつて主文の通り決定する。

(裁判長判事 桑原国朝 判事 二階信一 判事 秦亘)

抗告の趣旨及び理由

抗告の趣旨

原決定を取消し仮差押決定の御裁判を求めます。

抗告の理由

原裁判所は(1) の売買予約に基く所有権移転請求権は債権と目すべきものではなく又(2) の賃借権の如き債務設定の趣旨より債務者が特に債権者のみに給付する利益を有する債権は其の性質上差押え得ないものとすべきであるとの理由により却下せられたのである。

然るに債務者は第三債務者に対し本件土地の売買予約金として金百五拾万円余を渡している。其の代償として前記の通り物件に対し売買予約による所有権移転の請求権保全の為めの仮登記を為し且つ其の土地に対し賃借権の登記を為し前記売買予約金百五十万円余を賃借料二十ケ年分の前払とする。若し其の期間中に売買の本登記が出来る時は前記の百五十万円余は其の売買代金の内金とする約にて前記の通り売買予約に基く所有権移転登記請求権保全の為めの仮登記並に賃借権の登記を為して居る。且つ其の賃借権に対しては譲渡制限の定めもない。

以上の理由により原裁判所の仮差押申請却下の決定は失当であると思料致しますので茲に抗告に及んだ次第であります。

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